【00:00】本当の賢さとは何か?
どうもこんばんは、ピエロです。今回は「本当の賢さとは何か?」賢い人たち、いわゆる「本物」の見抜き方と、その賢い人たちに共通する「ある能力」について解説します。
私はずっと歯がゆいな…と思っていたのは、やっぱりこの世の中って、正当な評価を享受することってほぼ無いんですね。YouTubeとかもたまに見てると「この人尋常じゃないくらい賢いのに、何でこんな評価低いの?」って思うことがあるんですが、ピエロが実際自分でYouTubeをやって分かったことがあるんです。
それが恐らく「多くの人が賢い人の基準っていうのをシンプルに知らないんだな」っていうところに気づきました。
恐らく皆さんは親にもおばあちゃんにも、誰にも教えてもらってないんですね。本当の賢い人がどういう人かって。だから皆さんは今日、覚えて帰ってください。
そして―見抜いてみてください。
【00:47】高学歴は成功しやすい
先日Twitterにてメッセージを頂きました。
ピエロさんの動画を見ている者です。
少し疑問に感じたことがあります。
東大や京大など有名な大学を卒業したひとは、その有名な大学に入れる賢さがあるため、何かに挑戦するとき短期間で結果を残せる。
それは有名な大学に入れる努力と賢さがあるから何事にも成果を発揮できる。
これから副業など何かに挑戦しようとするとき、そのような高学歴の人を相手に自分は努力はできるが、でも専門卒で賢さが備わっていない自分には結果が残せるのかと、ふと考えたりすることがあります。
ピエロさんだって有名な大学に合格し、卒業できるほどの賢さがあったため動画や投資などに挑戦して成果を残し続けられる。
賢さの定義について教えて頂けたら嬉しいです。
有名大学に行く賢さがあるからこそ、何を挑戦しても結果が残せるんだと。その人たちと同じように、自分のような専門卒のような頭の悪い人間が成果を残せるのか?と疑問に思っている。
ということですが、まず質問であった通り「有名な大学を合格できるほどの賢さ」があれば、社会にでてビジネスをしても同じように成果が出せるというのは大体あってます。
何故かというと、有名な大学に行く人は「学習をする行為」が「結果を出すというレベル」まで行き切っているからです。だからこそそういう人たちは、副業や他の仕事をしても「成果を出すというレベル」まで行き切る可能性が大いにあるということなんです。
ただ有名な大学を卒業していないのに、世の中で成果を上げている人はどう説明しますか?
高学歴だから世の中で成功する―そうじゃないんですね。「抽象度が高い」から成功するんです。
【02:16】本当に賢い人とは抽象度が高い人
まずこの動画の答えなんですが、この世の中で本当に賢い人っていうのは「学歴が高い人」や「お金を稼ぐ人」「知識が豊富な人」のことではなく「抽象度が高い人」のことをいうんですね。
「抽象度が高い」とは「視点が高い」ということ。なぜ抽象度が高い人が賢いのかって、抽象度(視点)が高いと、共通点を探す力に非常にたけているからです。
これは芸人の松本さんと、音楽家さだまさしさんと、芸術家泉谷しげるさんとの3人の対談で、この3人は全く別分野です。芸人とミュージシャン、作家なんて、全く違うじゃないですか。なのに何で分野を超えて会話ができるのか?
彼らは知っているからです。自分が追及した果てに気づいた、この法則性は芸人だけじゃなく、世界中でそうのはずだと。自然法則としてあるはずだと。その法則性をめぐって「そうそう、あるよねそれって」って他の分野でもそういうことがあるって知って、彼らは「やっぱそうだよね」って話し合っているんです。
我々の世界でも同じです。例えば学校でしたテスト勉強をするときの忍耐力は、仕事をするうえでも似たようなものがあるって分かるじゃないですか?学校とビジネスってフィールドが全く違うけど、そこには「共通点」があるんです。これが「自然法則」。
【03:26】賢者はゲシュタルト能力が高い
その共通点は視点が高くないと探せない。この共通点を探す力を「ゲシュタルト能力」といいます。
「夏に羽が落ちていた」これがなぜセミの羽だと分かったのか?羽を見た瞬間に、その羽から胴体が創造されたんです。これこそが、ゲシュタルト能力。
順番がすっ飛ばされていても、そこの穴埋めをして理解ができるんです。「部分」から「全体」が想像できる。そしてそのまた逆「全体」から「部分」の想像もできる。
本当に賢い人は、感情的な出来事にあまり揺れません。感情がエンターテイメント―娯楽だと、知っているからです。抽象度が高くなれば感情に支配されることが無くなっていき、悲しいとか、苦しいとか、嬉しいとか、辛いとか…そういった感情は結局は娯楽だと気づく。
目の前の悲劇も実は人生という長い道のりにおいては、一種のイベントでしかない。全体を見たうえでは目の前の出来事は構成要素でしかない。だから何もしなくてもいずれ過ぎ去っていくし、だからそれは必然的にやってくる。
ただ抽象度が低いと感情に支配される。抽象度が低いとは視点が低いということ。視点が低い人にとっては見えているものが全て。ゆえに悲劇が来れば、その悲劇にどっぷり頭までつかり、考える間もなくのまれる。そういう人は感情にだけ視点が低いのではなく、生き方の視点も低ければ、物事の学び方の視点も低い。
こういう抽象度が低い、視点が低い人のことを歴史では「庶民」と一括りにしてきた。
【04:48】課題解決とは人が生まれた理由
部分から全体を想像し、全体から部分を想像する。これをゲシュタルト能力と言います。本当に賢明な人たちはこの能力を人生にて存分に発揮しているのです。
この世界は問題解決の連続でできています。
- 明日のご飯はどうする?
- 今日は金欠だ、どうする?
- 会社がつらい…どうする?
- 彼女が欲しい、どうする?
小から大まで全てがクエスチョン、課題としてこの世の中に存在し、私たちは生まれてきてからずっと、その課題解決をし続けている。なぜなら私たちが生まれてきた理由が「課題解決をするため」だからです。
「人生は苦難の連続だ」なんて言われていますが、もっと具体的に言えば「人生は問題解決の連続」なのです。何であらゆる人間が生まれてきてからずっと、こんな強制的に問題解決ばっかりをしているのかって?
ひとつ「魂の成長」というものがある。ただ魂だけでは問題解決はできない。そこで肉体というのが必要だった。肉体があることで問題解決に取組めるんです。だから何かしらの問題と向き合うために生を授かったと考えられる。
まぁここまでの話は全て2年前に話したので、コメント欄のリンクで一応置いておきますが、本当に賢い人は感覚的にこの世の中が問題解決でしか前進しえないことを知っている。アドラーがこう言いました。
あらゆる人生の課題は3つに集約される。
「仕事」「交友」「愛」
アルフレッド・アドラー
だから本当に賢い人はこの課題解決が非常に上手なんです。ゲシュタルト能力です。目の前の一点の未知数な問題だけではなく、その問題の向こう側―人生も広く見ている。目の前の未知数な一点にとらわれることなく、全体をみて、目の前をみて、と交互にみれるので、その全体とその目の前の一転に、何かしらの共通点があることに気付く。
これがまさに「ひらめき」のようなもので、そこから一気に全体と目の前の問題に関連性が起き、つながり、つながり、全てがつながっていき、全体と部分が同時に存在する状態になり、問題解決をしていっている。
これはもう実際に体験してる人にしか理解できない話です。
【06:41】結論
賢さとは抽象度の高さのことであり、抽象度が高いと視点が高くなるので、問題解決のコツをいくつも掴むことができる。本当に凄い人たちを見に行ってみてください。
色んな法則を知っていたり、言葉をしっていたり、それを説明する前提を知っていたり、それはその人たちが自分の人生で拾い集めてきたもの。じゃあそう言う本当に賢い人が、この資本主義社会でちゃんと評価されてるのか?っていうと、評価されてないんですね。
質問者のロジックで言えば、賢いから稼いでいるんだと―それは違うんです。この資本主義社会は本当の実力主義ではない。才能があるやつが一番稼げてるわけでもない。この資本主義社会では経済ショックなどのコントロール不能な不幸なイベントが必ず定期的に起きるので、そこでは「才能」よりも「運」の方がはるかに大事なんです。
また富はスノーボールのように富がある場所へ再集中する。実際に才能があっても、実際に実力があっても、運がなければみんな何かしらの理由でドロップアウトしている。
つまりこの資本主義社会では賢いものでもないく、才能があるものでもなく、運がいいものが一番稼いでいる。だから賢くなる行為、抽象度が高くなる行為っていうのは、確かにある程度は収入につながりますが、本当の賢さっていうのを追及すると「人生の豊かさ」の方に必ず寄っていくんです。
本当に賢くなってくると稼ぐことより、より重要な指標に気付いていくんです。だから逆に稼げなくなると思っていいです。この道には「ジレンマ」があります。