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セクハラの基準が理解できない人達
「セクハラを理解できない人の価値観」について核心に迫った漫画―田房永子先生。
セクハラについて「もう何言うてもセクハラなってまうやんー」と、言っても言っても全然わかんない人たちって、女の人は女であるという「点」でしか見てない。
美人・独身・太ってる、って。
この視点って女の人を人間扱いしていない。でも彼らは「こちらも人間なんです、人として扱ってください」というと、「人間扱いする」の意味が分からない。
実は彼ら自身が「自分のことを人間扱いしてない」のではないか?彼らは性別とか年齢とか―入れ物に沿って生きている。
ということで結局男がセクハラを理解できないのって 女性を「女という記号」で見ているからなんですね。
そしてそれは社会に対しても同じように見ている。だから女性に対し、同じ人としての扱いができない。でもそういう人でも実は友達同士なら、そういう記号的フィルターって外すことができるんです。
デブな友達をデブだとは思っていないし、ブスな友達をブスだとは思ってない。
その人間的扱いを―記号的な束縛から解放された扱いを、今女性は求めているのかもしれません。