Summary
この話は仏教の基本的考え方であり、それを簡潔にまとめました。嫌いな方は抵抗があると思いますがピエロは、筋の通った非常に面白い発想だと思っています。
最先端の科学技術でも人体の95%はまだ解明できていないと言われています。これからが楽しみです
Transcription
【0:00】魂と肉体という2つの存在とその性質
どうもこんばんは、ピエロです。
今回は、私たちは何のために生まれてきたのかというお話をします。
今回の話は仏教の考え方の一つで非常に筋の通ったある種感動した話でもあるので、ぜひみなさんにも聞いてほしいです。
できるだけ早く。
何のために我々は生まれてきたのか?
先日この様なツイートをしました。
「命は等しく皆平等」という言葉がありますが
命の「重さ」は平等だけど命の「価値」は平等ではなかった。同じ1gでも価値が違うんです。ダイアモンドは1g約1400万円ですが、鉄は1g0.06円という様に。多分命の市場価値は、生きる過程で上げていく物で、この「命」は心臓の事を指すのではなく、魂の事かもしれない。
つまり命の重さは確かに平等だけどその価値がそれぞれで全く違う。
そしてこの命の価値は生きる過程で上がる。
多分ここでいう命は心臓ではなく、魂の事ではないか。
私たちは魂と肉体の2つで動き、肉体は借り物で魂が本当の自分自身であると考える訳です。
そしてよくこう思うんです。
「この肉体が非常に邪魔だ」と。
魂だけであればヒュッと空を飛んでロンドンまで一瞬で行ける様に考える訳ですが、肉体があるとその肉体をロンドンまで運ばなければいけない。
そのためには時間もお金もかかる。
肉体は身動きをとりにくくしているのではないか?
ところが実はそうじゃない。
実は魂は魂単体では移動ができないんです。
例えば私たちは10年20年と住み慣れた家でも、いつかは引っ越しを迫られる時がある。
肉体のある私たちはその時、しょうがないかと思ってその場を離れることができる。
ところが、肉体を持たない魂はそこに未練があるうちは離れたくても離れられないんです。
なぜなら魂とは意識であり、意識は肉体がないと動くことができないからです。
もっと分かりやすい話があります。
よくこの夏の時期になると、心霊番組がやってますよね。
そこで霊能者がそのとりついた霊に対していろいろと語りかけるシーンがあるんです。
ピエロは一切信用していないですが、霊たちは霊媒師に向かってこう話しかけています。
「私たちはこんな思いをした、あんな思いをした」と。
その場所に未練があって、執着があるから意識は消える事ができず離れたくても離れられない。
逆に肉体を持った私たちは、未練があっても執着があっても肉体ごと移動することができる。
そういう意味で言うと実は肉体があるから不自由なのではなく、肉体がある事によってどんどん違う環境を求め移動する事ができたりする。
それからもう一つ時間という感覚。
私たちはこの肉体を通して、疲れた、おなかが空いた、眠いという信号を感じ取り、今何時だっけ?と時間をたった事が感じられます。
逆に全然眠くならない、全然疲れない、おなかが空かないとなると、私たちは時間という感覚が持てなくなるんです。
先ほどの心霊の話に戻れば、よくここに出てくる霊たちは「私はここで殺された」と言っているけれども、どうもよく聞けば、それは何百年も前だったりするんです。
しかしそれをさも、ついさっき殺されたかの様に喋る。
もしあれが本当だとすると魂は肉体を持たないので、時間という感覚がなかったからそうなったと考えられるわけです。
テレビ番組もこの観点から見ると正しい理論の元モノ作りをしていると言えるんです。
このように私たちは今、肉体を通して時間を感じたり、さまざまな思いを育む事ができている。
【3:12】魂の世界の様子
今回のお話は、目に見えない別次元の事を私たちの身近に例え話しています。
例え話は全てを説明しきれないので、ニュアンスをつかみ取る感じで聞いていただければと思います。
魂には現実世界と同様に、ランクの様の住み分けがされています。
高い魂から低い魂まで、ものすごく細かく住み分けがされているんです。
なぜかというと、魂は意識したところに根付くからです。
そうするとちょうど、自分の波長の合う場に行くので、意識レベルが高い魂は高いところにいるし、低い魂は低いところにいます。
現実の社会もそうです。
経済力によって住む場所が大体住み分けされている。
ロサンゼルスの高級住宅街に住んでいる人、アフリカのスラム街に住んでいる人、大体その人の経済力で住む場所が決まっている。
魂の世界では、その魂の質、レベルで、厳密にいる場所が違うんです。
そうすると意識レベルの高い魂は周りにそういう人たちしかいない。
例えば愛が溢れ、本当に気配りができて、という魂しか周りにいないんです。
意識レベルが低い魂にとっても、それは同じことで例えば嫌なやつしかいない。
意識レベルの高い魂にしてみたら、本当に愛に溢れた人ばかりだから居心地はいいけれども
同時に学びも気づきもない。
それは現実世界も同じです。
仕事だからこの人と付き合っているけれども、仕事じゃなかったら絶対付き合わない。
人は気心しれた人とだけなら居心地がいいし、そういう人といたい。
けど、そこに意味は、魂の成長はないんです。
自分と合わない人と付き合うからこそ、自らの魂を成長させる事ができる。
プライベートで居心地がいい人といくら付き合っても、それは向こうでやっていたことをまたこっちでやっているだけなんです。
ところが、肉体を持つことによって意識レベルの高い魂低い魂が、同じ次元で出会う機会が生まれた。
魂の世界ではまず出会わない異質の魂と。
また意図的に意識レベルの高い魂はこの世にオギャーっと生まれてきたら、障がいをもって生まれてきたり、親が異常者であったりとか、そういう場を選ぶんです。
反対に意識レベルの低い魂は何もしなくても生きられる環境や裕福な環境を選ぶ。
もちろんそれは一概には言えないでしょうが。
魂の世界であれば嫌な魂しかいなかったのに、全然違う次元の異質の魂に出会えるとこんな人間もいるんだ、こんな凄い人もいるんだと触発されその魂に近づこうとしだす。
ところが、魂の世界ではきっかけすらない。
肉体を通してしか私たちは成長できないんです。
そうやって何回も生まれ変わりを繰り返している。
輪廻転生などと言われますが、前世の記憶を持つ男の子や、体験したことのないデジャブ、あれらは非常に興味深いです。
【5:36】こっちの世界とあっちの世界の価値観
肉体がないと時間が感じられない。
そのため魂は時間をかけて手に入れられるもの全てが手に入れられないのです。
例えば私たちは肉体を通してしか情を育めない、愛を育めないんです。
つまり魂の世界では、残念ながら愛は育めない。
私たちはやがて人生を終える時がきます。
その時魂が肉体から離れ、魂の世界へ行きます。
すると、時間がたつにつれどんどんこの世で生きてきた時の記憶が薄れて行き、同時に生きてきた時の価値観が魂の価値観へと変わっていく。
それは海外で過ごしていると英語ばかり話すのでだんだん使わない日本語が下手になり、最終的にはイントネーションまでわからなくなるという感覚に似ています。
魂の世界に行くと、だんだんこの世に生きていた時の価値観が薄れて行き、魂の世界の価値観へとすり替わって行く。
この世は物質的な世界ですから、お金が欲しい、豊かになりたいという価値観が中心ですが
魂の世界では愛を求める。
つまりあちらにいる時間が長くなればなるほど、こちらだとお金持ちになりたい、ちょっとでも豊かになりたいと思うのと同じくらいの感覚で
あちらでは愛を求める。
ところが残念な事に魂の世界ではその愛が育めない。
肉体を通してしか育めないんです。
ところがその事を魂になったばかりでは、気づかない。
それでも求める。求めるけど手に入れられない。
その繰り返しで愛に飢える。
やがて時がきて再びこの地上に肉体を持って生まれてくるチャンスがやってくる。
その時、愉快で楽しいだけでは愛を育めないのを知っている私たちは、生まれた後の自分がなんでこんな人生なんだと嘆く環境を選び、オギャーっとこの世に生まれる。
オギャーっと生まれると同時に魂の世界での記憶を全部消す。
なぜ消すかというと、記憶が残っていたら意味がなくなるからです。
つらいことがどういう理屈でつらくなるかわかっていたら、実は人間はつらくならないんです。
なんで?私だけ?どうしてこんな思いをしなきゃいけないの?
と、そんな中で豊かなさまざまな情が育める。
最初からわかっていたら織り込み済みになるので情が育めないのです。
だからいったんリセットする。
【7:37】道しるべ
ところがリセットされた時に、道に迷っては全部パーなので、自分が生まれた後道に迷わない様に道しるべというのをみんな用意しているんです。
道しるべとは何かというと、私が生まれて初めて山登りをした時の話をします。
友達と一緒に山を登っていくと、道のところどころの岩に白いチョークの落書きが無造作に書かれていたんです。
私は最初、こんなイタズラをしている人がまだいるんだなと思ったんですが、ところが山を登っていくとまたあったんです。
登山初心者の私は友達とも喋らず必死に上へ登っていたのですが、気づけば後ろには友達はいませんでした。
探すのは諦めとにかく登りました。
山は頂上に登るにつれどんどん険しくなり、ある時から今自分がどこにいるかすらわからなくなったんです。
恐怖で何もわからない私はただとにかくチョークの落書きを探していたんです。
そしてふと周りを見渡せば、山の頂上にいました。
そして思うんです。
あの岩が導いてくれたと。
【8:30】私たちが生まれてきた意味
これは私たちの人生にも当てはまる事だと思います。
頂上を目指す生き方をすると、人生を歩む中でこれは偶然か?としか思わないけれどもやがてそれが重なると意味があると感じる。
そしてこっちのほうへ行けと言っているんだなと。
自分は守られている、導かれているという感覚に至る事があるんです。
ところが、頂上を目指していない生き方は例えて言うなら麓で昆虫採集をしている感じなので、たまたまそういう事に出会えたとしても、たまたま、偶然で終わってしまうんです。
多くの人は生まれる前の自分が、生まれた後道に迷わないようにと用意した道しるべに気づかず終わってしまう。
道しるべに気づくためには、頂上を目指さないといけないんです。
頂上には幸せがある。
幸せとは突き詰めると「自分を愛する事」です。
この自分を愛する事が最終的にできるようになれば、その頂上に立てると言われている。
でも自分を愛するためには、つらい事も、悲しい事も、経験した事ない事も、いろんなものを経験しなければならない。
結局、本当の愛は自分が幸せである時にしか育めない。
そしてこの幸せになるための要素、喜怒哀楽全ては、上に上がろうとする努力の最中でほとんど全て手に入れられる。
以上が人間が生まれてきた意味でした。
仏教ベースの話で、かなり重要な要素も含んでいると思うので、また見る機会があれば繰り返し見てほしいです。
宗教に抵抗がある方もいると思いますが、世界中の宗教で唯一、他力本願でない己の力で乗り越えるという釈迦仏教は
実際現代ビジネスでも通用するどころか、そのものであると感じるのでみなさんにもおすすめです。
ピエロはこの話に、実体験として共感する部分が非常に多かったですし、真理的であるなと思いました。
ただ、そんな事全部知ったうえで、あえて何も努力せず最後を一人で迎えたとしても
(―クソみたいな人生だったな、って最後に笑えたらそれはそれでありなのかも、と思ったりします。)