恐怖の本質
「異形のものの恐ろしさ」の本質って、やっぱり「話の通じなさ」
なのではないかなって思うんです。その理屈の通らない「不条理さ」に恐怖を覚える。
- 「こんにちは」に「こんにちは」
と返ってくるのは怖くないし - 「助けてくれ」に「お前を〇す」
と返ってくるのも怖くはないが - 「助けてくれ」に「こんにちは」
と返ってくるのは怖いんですよ。
「こんにちは、じゃねえよ」って突っ込めないですよね ?当たり前の言葉 、その当たり前って結局「限定されたシーン」での当たり前なんですね。その当たり前がズレた時の怖さは、他に代え難いものがある。
つまるところ「話の怖さ」や「その対象の恐ろしさ」って「話の通じなさ」に比例して上がっていくんじゃないでしょうか?
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ひとこと
