Summary
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Transcription
どうもこんばんは。
今回の動画は本当は二週間前に上げるつもりだったんですが、マインクラフトにはまってしまって、人生を完全に無駄にしました。
ピエロは動画ではあまり雑談はしませんが、ツイッターではしてるんで、良かったら見に来てください。
【00:10】不愉快な感覚の原因は道徳(モラル)と倫理(エチカ)
最近コロナなどをきっかけに、多くの有名人の方が亡くなりました、ご冥福をお祈りいたします。そしてそれに伴ってYoutubeでは、有名人の死を再生回数にする非道な人達がかなり増えてきましたよね。
その中でも、最近許せなかったのがこちらです。
上島さんが亡くなりましたが、その死人を使った酷いサムネイルです…外道です。
ただこういった類を見たとき、我々正常な感覚を持つ人間は「非常に不愉快」になるんですが、不愉快になると同時に「これの何が悪いの?」って…ちょっと良く分からなくないですか?
だってこういうことをしても、逮捕されたり、法に触れるわけではないですから。じゃあ何が私達を怒らせるのかって、それが恐らく「道徳」と「倫理」
【00:47】道徳と倫理の違い
私達の中にある「正義」が―つまり道徳心や倫理観が、この上島さんのサムネイルを許さないんだろうと思うんです。皆さんは道徳と倫理の違いって分かりますか?ここの言葉の定義が面白いなって思ったんですが
まず道徳は「モラル」のことで、倫理は「エチカ」―どちらも正義の基準についてなんだけども
道徳(モラル)は「社会全体が守るべきルール」で
倫理(エチカ)は特に「個人の中にあるルール」
例えば浮気問題で「旦那が風俗に通うことは浮気か?」という問題がありますが、旦那が風俗に通うことは「家族的にどうか?」「当人の中でどうか?」っていうのがある。
家族的にどうかが「道徳」で、旦那の中でどうかが「倫理」。そしてもう一つの特徴として、道徳は周囲のOKが必要なもので、倫理はプライベートなもの。
例えば、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー…同性愛者問題を見ても、当人同士はオッケーだけど異性愛者(一般人)的にはどうか?同性愛者のいちゃつきを、我々は本当にOK出してますか?っていうリアルな問題がある。
例えば女性の生理問題―女性の社会進出が活発になって、ここ数年、女性に生理休暇を与えようという、デモを行っているらしいというのを最近SNSで知りましたが
女性に生理休暇を与えるのは、女性的には嬉しいだろうけど男性は普通に働いていますから、女性にだけ特別休暇を与えるのは会社的にどうか?という問題がある。
つまり倫理的には個人の私情としてはありだけど、社会的なOKが出ていない。今の日本では、女性の生理休暇は道徳的に無しとなっている。
では話を戻すと、こういうサムネイルを見たときはどうかというと…道徳的にはアウトだが、倫理的にはセーフ
この死体蹴りみたいな画像をサムネイルに使うことは、社会的にはダメだけど、個人としては自由。こういう行為っていうのは、人の死を冒とくしているとも言えるし、別にそんなサムネ一つで何も変わらない、という人もいる。
ただ私は知っている、これはダメなサムネだと。
【02:26】芸人は攻撃によって笑いを取っている
確かに冒とくしていると言われれば冒とくしているようにも見えますが、ただそれは大きな誤解で―
私の意見を聞いて欲しいんですが、そもそもお笑い芸人という職業は非常に特殊で、語弊を恐れず言えば、こういうサムネを使っても許容される特殊な部族(職業)だと私は思うんです。つまるところ何が言いたいかって
散々人のことを攻撃してきたんだから、彼らは攻撃されても文句言えない死人なんですよ。
結局芸人のやってることって、攻撃性の転化で生んできた笑いなんですね。芸人さん達が笑いを取るときに使っているテクニックは何か、って。
一言で言ってしまえば、特定の何かを傷つけることによって笑いを生み出す技術。
実際に今日本で最も主流な笑いは、毒舌です。毎週日本の数千万人以上の大衆が共通してみてる芸人って誰かって―有吉さん、マツコ・デラックスさんなんです。
彼らが今芸能界の中心におり、そして彼らの芸は毒舌―毒舌とは攻撃性の転化で笑いを取るテクニック。他にも
- 人のミスを攻撃して笑いを取るテクニック
- 人の容姿を攻撃して笑いを取るテクニック
- 社会の穴を攻撃して笑いを取るテクニック
―などその芸は無限にありますが、総じて芸人の取る笑いは攻撃性の転化なんです。ダチョウ俱楽部だって攻撃性の転化で笑いをとってきた。あれは一見誰も傷つけていないように見えますが、自分を熱湯に落とすという自虐で笑いをとっている。
自虐とは自分を攻撃して笑いを取るテクニック
体を張った笑いも、明確な攻撃の転化による笑いなんです。似た類に、狩野英孝さんや、出川哲朗さんなどがいますが、芸人の笑いは常に攻撃することによってその芸を成り立たせている。
多くの人が勘違いしているなって思うのは、最近志村さんが亡くなられたとき多くの人がこう言っていたんです
「誰も傷つけない笑いで、今まで私たちを笑わせてくれてありがとう」
勘違いしてはいけないのは、志村さんは差別・蔑視的笑いの日本代表(代表人物)だったということです。志村さんの昔の番組で、高校生くらいの女の子の上半身裸が全国ネットで流されていましたが、あれも完全に攻撃的な笑いです。
そうやって攻撃性の転化で笑いを取って、一時代を築いた人が志村さんなんです。
私は危険だなって思うのは、50万いいねくらいされているツイートをみると、そのツイートの言っていることが正しく見えるじゃないですか?ほとんどの人がそう言ってるんだって思うと真実に見えちゃう。
ただ私がこの場を借りていいたいのは、彼らは何も見えていないです。
結局、何も見えてないんですよ…居様だけで、っぽいことを言っているだけ、その聖人化が志村さんの功績に対する冒とくであるとも知らずに。私は許せないですよ、志村さんは攻めて攻めて攻めまくって、笑いを創り出し、時代のスターになった。
だから芸人からも愛された人なのに「誰も傷つけない笑いをありがとう」っていう皮肉は、志村さんが文化人ではなく最後まで芸人として生きることを貫いた―その美学の否定
その大衆の死体蹴りに比べ、ピエロはこんなサムネイルを使ったくらいで何もしていないようなもんです。ピエロは今回は逆に被害者ですよ…言葉狩りに遭ったみたいなもんです
…サムネ狩りに、逢いました。
【05:15】共通する道徳はもはやなく、あるのは個人の倫理
まあ全部嘘なんですが。実は最近死について考えていまして、安楽死について一分くらいの動画を作ったんですが―
「コヤブさんが母親が死ぬ瞬間に立ち会って、苦しんで死んでいった母親の顔をみて。最後位は楽に逝かせてやりたかった、安楽死という制度があってもいいんじゃないか?」
みたいな動画を二週間くらい前に上げていて、その次に自殺をテーマで動画を作っていたらたまたま上島さんが死んで、こりゃ使えるなって思って使ったというだけの話です。
実はピエロは根っからのサイコパスなんで、無で、何も考えずに使いました。コメント見てから「ああ、これダメなんだ」って思ったくらいで…反省しています。
ただ「でも何も変わらないよ?」っていう話で、自分の軸を他人の意見で変える必要はない。浮気も日本全体としてダメという共通認識が昔はありましたが、ネットが普及して個人の意見が強まった
バレないようにするならOK、風俗くらいならOKというように、もはや不貞行為に対してすら全体に共通して通る道徳はなくなったんです。
今は個人の倫理があるだけ。自分としてはありだと思う、自分としてはなしだと思う―皆そういうのが自分の理屈をもとに主張できて、その主張をもってそれぞれが生きていける時代になった。
だけど今回の倫理的問題もそうですが、周りの人が悲しむからそれはしちゃいけないとか、周りの人が悲しむからこれをやっちゃいけないって。
【06:23】結論
結局は「とにかく周りに合わせろ」というのが大前提になっている。でもそうなると個人の中にある軸(信念)みたいなものは常に周りと合わせることでした存在できなくなって、なんか―よく、わかんなくなってくるんですよ。