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恋愛を熟知している人の思想:才能の言語化#34

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【0:00】恋愛の本質

どうもこんばんはピエロです、今回は恋愛の本質についてです。

今多くの人が恋愛というものを、自分の人生には無いものとし、蓋をしています。これが現代社会の性の象徴的特徴でしょう。ただ我々人間は欲によって明日を生きます。食欲と睡眠欲を満たす事ができた段階で、人が次に欲する欲望

それが恋愛(性)です。

つまり恋愛をしたいと思うのは人間の“本能”であると。しかしこの恋愛が今忌み嫌われているのです、現代人に。なぜなら恋愛などというものは「若くて、顔が良い人たちがするものだ」という特権的なものだと思い込んでいるから。

ただ、時々おかしな光景を見るのも事実です。街中を歩けばなぜか凄く美人な子と、モブ男がカップルとして歩いてたりするんですね。一見すると因果を超越したかのようなこの現象に恋愛というものの答え“全て”が詰まっているのです。

皆さんは知っていますか?約150年前まで日本には、恋愛などという概念が無かったことを。

皆さんは知っていますか?少年漫画のヒット作には、恋愛漫画が一つもない事を。

皆さんは知っていますか?恋愛とは男性のモノではなく、女性の為のモノだと。

私が今からする話は未だ誰もyoutubeでは話されていないことなので、恋愛というモノの本質を知りたい方にはお勧めです、この話を聞けば恋愛がわかります。

【1:11】恋愛の意識調査

そもそも現代の若者の多くは恋愛に対し消極的になり、この恋愛という行為自体に疑問を抱いています。

恋愛は人生にとって本当に必要な行為なのか?と。

ある驚くべき調査結果があります。新成人の男女618名に対し恋愛の意識調査を行ったところ

これまでに交際したことがあるか?という質問に対し54%が無いと回答し

現在交際している異性がいますか?という質問に対し77%がいないと回答し

今後異性と積極的に出会いたいか?と聞いたところ、59%は今後も別に恋愛をしたいとは思わないと答えた。この結果から読み取れることは

「現実ベースで新入社員の約半分は交際経験どころか恋愛経験もゼロ」で「思想ベースで、では恋愛が積極的にしたいのかといえば、別に恋愛をしたいとも思っていない」

現代の若者の多くは恋愛に対し消極的になり恋愛という行為自体に疑問を抱いている「人生にとって本当に必要な行為なのか?」と。

【2:07】恋愛 を経済的損得で捉えている

なぜ恋愛に対しこれほどまでに消極的になっていったのか。

恐らくその原因は私たちが恋愛を経済活動の様に捉えているからです。

私たちは買い物をする時「良いもの」「安いもの」「自分の口に合うもの」といったように食品を選び手に取りますが、恋愛も同様にできるだけ「良い女」「良い男」「自分の口に合うタイプ」と付き合いたいと思う。

ただしわざわざ努力はしたくないので、この「自分の好みに合う人」がリーズナブルな状態で、自分の手元に向こうから転がってきて欲しいと。つまり現代人の恋愛観からいわせれば、恋愛とは待っていれば誰かが用意してくれるものだと。だからこそ

「顔がイケメンじゃないと恋愛なんてできない」

「何であいつには付き合えて俺には付き合えないんだ」

「私の方が可愛いのに」

という受け身の言葉ばかり出てくるんですね。

全く自分がアクションを起こしていないのに、ある現象を見て「なんで俺じゃないんだ」と。向こうから転がって来なかったことに憤慨し、損をしたとクレームを入れている。安くていいものを、優先的に売ってくれなかったお店に怒っているお客様のように。

そう、恋愛というものを現代人は客人視点の経済的損得で捉えている。そしてこれが今多くの人達にとっての恋愛の当たり前です。

ただその当たり前、前提は間違っているので、本当に恋愛なんて必要なのか?という混乱を招いているのです。そしてこの混乱が歯車を狂わせている。

生物的な愛で接すれば良いだけのことを、経済的な損得の視点で恋愛を捉え出すので、彼女という高額な商品を買うよりもっとリーズナブルで、もっと便利なものがアマゾンでワンクリックで買えると思って、本当にそっちを選んでしまっている。

つまり恋愛というものを経済的損得で捉えるが故に、わざわざ女性と恋愛をする理由がなくなった故に、若者の急激な恋愛離れにつながっている。

このように恋愛という「人それぞれの自由でしょ」という極めて単純なモノを、経済的損得感情という方向に書き換え、恋愛を複雑化した犯人が明確にいます。

その犯人は小説、漫画、ドラマなどの創作物です。

昔「ドラマの見過ぎ」という言葉を多くの人が使っていて、頻繁に耳にしましたが、まさに現代人はドラマの見過ぎなんです。

恋愛ドラマでは必ずと言っていい程、様々な難癖をつけ好きな人が向こうから転がってくるんです、皆さんも見たことがあると思います。

のだめカンタービレを私は見たことがありますが、急に好きな人が手元に転がってきて、キスをしたりするんですね。これはあらゆる恋愛漫画で使われている型です。

皆さんはこれがリアルでも起こると思っていませんか?…思っているんです。何度も何度も絵やパターンを替えて見ることで、潜在意識に刷り込まれている。

このシーンを見て「女性は好きな人は向こうから転がり込んでくるモノ」だと刷り込まれ、このシーンを見て「男性はイケメンじゃなきゃ彼女はできない」みたいな刷り込みが始まっている。

そういう漫画の型が潜在的に植え付けられているんじゃないか、こんな漫画の世界の様な理論を20とか30超えた人達が、普通に信じているんじゃないか。

【4:55】イケメンじゃなきゃ彼女はできない

虚像とリアルが混同している

そもそも恋愛漫画というものは「女性の脳内の願望」によって創り出されたものです。つまり恋愛漫画とは「女性の願望そのもの」であり、この女性の願望を女性に代わって、創作物が世間に浸透させたのです。

恋愛創作は明治時代に小説から始まり、漫画になり、ドラマへ拡大しました。見たい消費者層によって、その市場は支え広がり続けた。

「こうであったらいいのに」という願望を元に「こうであるべき」という型が作られ、そしてそれがあるとき公に受け入れられたんです。

昔、浜田雅功さんがハマダーとして一時代の日本ファッション界を牽引したように、ドラマ等の創作物が日本の恋愛界を牽引してきた時代がある。男が女性に告白するという型、イケメンじゃなきゃ恋愛できないという型もそう。

それらは女性が思うそうであったらいいなというクリエイティブワークがリアルを牽引した名残です。

【5:47】恋愛は西欧からの輸入品

西欧的な恋愛観

冒頭でも少し触れましたが、元々日本には恋愛という概念は存在しなかったのです。実は日本の恋愛観はヨーロッパからの輸入品です。では恋愛の無かった日本人には元々何があったのか。

恋愛の代わりに、夜這いや盆踊り、お見合い結婚、遊郭などがありました。

ある意味で昔の日本は、非常に合理的だったのでしょう。すべてが一方通行で、男が女を選ぶという行為のみがあった。それが明治時代に入り大きく変わりました。他国の文化を知った、明治の知識人や小説家が文化を変えようとしたのです。

彼ら知識人は海外からの見られ方を非常に気にしており、特に性に関しては日本は幼女思考が強かったり、性に対する規制が緩かったりと、世界とのズレがあったので、それを変えたかったんですね。

少し深く話をすると、明治以前は諸々の書物を読んでも、色、情、恋などの、肉体関係込みの言葉しかなかったのが、明治以降突然ヨーロッパの「恋愛」という言葉に転じた。

この恋愛という文字には「肉体関係のみの恋は低く見られる」という、日本のこれまでの常識を真っ向から否定する考え方があり、それが明治以降突然日本に定着しだしたんです。

つまるところ、元々恋愛などという概念は日本になかったのに、150年ほど前明治の知識人が無理矢理塗り替えた…塗り替えたというより貼り換えたんです、ちょうどワインのラベルの上に違うラベルを貼り替える様に。

だから今の日本人は、凄く大変な思いをしている。

元々感情表現に乏しく、意思表示をしない能面的な日本人の性格とは相反する西欧的なキラキラを、恋愛という名で上から貼り付けた。

だがそのラベルが現代になって剥がれだしてきたので、恋愛って本当に必要なのか?肉体関係のみの恋が下に見られるって本当にそうか?と多くの人が疑問を持ち出している。

元々世界に存在しなかった恋愛という概念、それが誕生したのは女性の自己主張が始まりです。女性の主張が強まり、女性の合意が必要になった。

その歴史的背景を踏まえても、私はこの恋愛という過程は男性の為というよりは女性の為に創られたと考えます。男性は肉体を重視しますが女性は精神的なものを重視し、その女性が精神的に重視する要素が恋愛の要素と合致するんです。

【7:56】恋愛での女性の本音

今から話すことが、この動画内で最も重要なお話です。少しノウハウ的な事ですが、身を削って本音を言うので聞いてください。

女性は「この人としたい」と思う生き物ではなくて「この人としても別にいいか」って思う生き物なんです。男性で「俺はイケメンじゃないからモテない」って言ってる人がいますが、そういう人たちは女性をこう思っているんです。

「女性はイケメンとしたいと思っている」と―ここを誤解しているんです。

女性はイケメンとしたいと思っているわけではなくて、別にしてもいいかと思っているんです。モテる因果全てはここにあります。

「別にいいか」って女性を錯覚させることができるのかどうか、ただそれだけのことなのです。女性が後で自分にする言い訳、言い分を沢山作ってあげられる人が、実は最もモテるのです。

そしてそれは全て、精神的な錯覚でしかない。

ではどうすれば女性が錯覚に陥るような創作活動を行う事ができるのか?その答えは少女漫画にあります。

これは出版社の方が話していたのですが、男性向けに恋愛漫画を作っても全く売れないらしいです。実際少年漫画のヒット作に恋愛漫画は一つもないのです。しかしその一方で、女性向けに売れる漫画は恋愛漫画ばかり。

なぜなら恋愛とは、女性の為のモノだから。

【9:05】恋愛で男がなるべき役

では少女漫画を読んでみて、女性が考える恋愛というものが何なのかを覗いてみましょう。

恋愛創作には一つ「イケメンじゃないとモテない」という型がありますが、これは恋愛の相手役が大体イケメンだからです。だから男はこれを見て、やっぱりイケメンじゃないとモテないのかと思うと。

でもそれは創作活動において、相手役の一要素でしかない。では他にどの様な要素が求められるのか、作品を見てみましょう。

一般的に女性が演じて欲しい恋愛での相手役は、イケメンという要素以外に

  • 清潔で
  • おでこが見えていて
  • ふとした時にあごを掴んできて
  • 自分だけに優しい
  • 時々お茶目で
  • 冗談を話して笑ってたら突然目を見つめてきて、低い声でゆっくり話し始めてきたりする

【9:45】結論

彼女ができないとか、恋愛ができないとかは何故かっていうと、その答えは非常にシンプルで

女性が要求している、創作活動の相手役になっていないから。

つまり創作活動の相手役として自分を仕立て直せば、あなたは絶大なる需要になるのです。街中で見かける一見不釣り合いなカップルやホストや芸人が、常軌を逸してモテるのもそこです。

つまるところ、吹けば飛ぶような存在理由のない小手先の心理学を学ぶことなんかより、遥かに重要なことは

女性の前では役者になること。

自分をなくし、相手の好きな人を演じることに徹する女性専用の人格を持つのです。瞬間最大風速でいいので、そういう事ができる“アクター”(役者)になってしまう事が恋愛という創作活動をする上での答えになるんです。

この話は異性に限らず、人との付き合い方全てにおいてピエロ自身が意識している事です。“私”という一つの固定された人格を持つのではなく、相手に合わせた幾つもの“私”を持つのです。

注意することはアクターに入ると言っても、羞恥心のかけらもないのかというミュージカル口調でしたり、顔で鼻をつまむような猿芝居をするうだつの上がらない三文役者、では話にならないんですね。

本音で言葉が出てくる範囲で、演じることです。その自然体からくるその行為が、あなたがモテる理由なのです。

次はいつか結婚観について話そうと思います。

ただ最後に、本当に縁がないときは一旦頭から恋愛を離し自分の仕事に全てを注ぎ込んでください。

不思議なものでいずれ近いうちにその努力しているあなたを見ていてくれる人が現れます。

頑張ってください。

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