Summary
世の中にはびこる「学歴差別」を前半に、学校のビジネス実態を後半に話しました。
Transcription
現在日本では学歴というものを崇拝し、様々な呼び名を使って、同年代間での立ち位置を明確にする。
毎年一定の年齢に達すると、その呼び名の一因になるために、多く若者が必死になって努力をする文化が存在する。
どうもこんばんは、ピエロです。
今回は、学歴についてお話しようと思います。
皆さんは学歴って、どういう意味を持つと思いますか?
日本に限らず、アメリカ、インド、韓国でも社会というフィールドに立つと、何故か学歴というものが影響力を持つ。
何故、学歴は影響力を持つのか?
今回はその問いに対して、洗脳されてきたからとか、賢さを一目で判断できるからとか、そんな漠然とした回答をするわけではなく、明らかな本質をお話ししようと思います。そして最後に
「何故学校というものがこれだけ普及し、莫大なお金を稼ぐ市場となったのか?」
今回は、皆さんが今まで疑問を抱き、そして今もなお、知らされていない学問を学ぶ本当の理由、その真実をお話ししようと思います。
将来絶対に使わないのに、何故?
こんなにお金がかかるのは、何故?
学校に関する、今まで抱いてきた不信感
その全ての解が、この動画にあります。
先日29日参院予算委員会にて蓮舫議員が、高卒というワードを使って学歴差別をしたとして、ツイッターで炎上、蓮舫氏に学歴差別だと批判が集中しました。
実際どのような場面でその言葉を発したのか、振り返ってみましょう。
- 問題の「高卒」発言
- 学歴への強い嫌悪感
- 学歴の本質
- 差別意識は自分が原因
【01:39】発言の真相と違和感
先日コロナ支援に関しての質疑の中、蓮舫氏は安部首相に向かい「もっと給付金を拡大するべきだ」と学生を例に取り上げ、猛反論しました。
その内容が、こちらです。
「支給要件が狭すぎる、バイトだけで生活している学生が、バイトを切られ、家賃が払えなくて、奨学金負担があって、帰省するなと言われて
このままでは大学を辞めなくてはいけない。持続化給付金の、個人事業主等の枠に入れてあげればいいんじゃないか?
学校を辞めたら生活も成り立たない。学校を辞めたら高卒になる。就職はどうなるか?奨学金は返せない。その不安の声に、どうして答えられないんですか?」
と、こう言った流れで、高卒というワードを使ったわけですが、この言葉が学歴差別に当たるとし、批判を受けました。
しかし、どうでしょう?
この一連の文脈を見ると、決して差別をしているわけではないようです。
己のバイトで切り盛りし、学校に行っている苦学生は沢山おり、その子たちは今バイトができていない。
「バイトができなければ家賃も学費も払えないので、学校を辞めなければいけない。だったら事業主やフリーランスに使っている給付金を拡大して、学生に届けるべき」
この一連の流れを分かり易くするため、高卒というワードが使われたわけです。
【02:52】2人に1人は借金して大学に行く
つまり何が言いたいかというと、日本の学生の大多数は大学に進学したいし、大学に在籍していたいし、大学を卒業したいのです。
48.9%
現在日本の学生支援機構の調査にて、奨学金を受給している学生の割合です。
48.9%
大学生の2人に1人は、借金をしてまで学校に通っているわけです。
その上で一人暮らしをすれば、家賃も、光熱費も、奨学金も、友達と付き合う出費も出てくる。
それを賄うためバイトに沢山入って、疲れていようと勉強も頑張って、何とか4年間を乗り越えようとする。
それも全ては、王道と呼ばれる道から外れず、大卒という資格を取って、安定した給料の得られる職業に就きたいから。
【03:40】生まれる理由
高卒
今回の発言により蓮舫氏に批判が集中し、本人がSNSで謝罪するまでに至ったわけですが、先ほど確認したよう、事実は明らかで
文脈からも見て取れるよう、蓮舫氏は意図的に差別発言をしたわけではなく、事実は
高卒という単語だけが切り取られ、フェイクニュースとしてSNSに広まった。
それに対して、蓮舫氏を嫌いな人たちが、中心に批判を書き込み拡散、その第二波は、学歴というワードに非常に関心の強い人の心を揺らし、寝言を捻り出させた。
実際、蓮舫氏の高卒発言に対し集まった批判の内容は
「高卒でもしっかり仕事をしている」
「学歴が良かったら人間的に凄いのか?」
「大卒と高卒で何が違うんだ」
「私は高卒だけど月収800万あります、何か?」
といったような、学歴差別への強い嫌悪感を示すものでした。
何故これほどまでに多くの人が、学歴差別に強い嫌悪感を示すのか?
答えは明解です。
環境により作り出された、上手くいかなかった過去が、コンプレックスとして焼き付き
文化が、それを事あるごとに呼び起こし
風潮が、拡大解釈を起こし反発させる。
【04:53】環境「コンプレックス」
我々の社会には、社会通念が存在します。
大学を出ることは、社会的安定を手に入れる事をイメージさせ、逆に高卒であることは、社会的苦をイメージさせるという。
それが事実かどうかは後で確認するとし、それをなんとなく知っている親は、とにかく「子供だけには将来辛い思いをさせたくない」と思い
子供の成績が悪い時や、進学が上手くいかない時など
焦って将来のお金の話をし、怒って己のエゴを押し通す。
そのエゴに添えなかった子供は、子供で精神的苦痛を溜め、それは学歴という一単語に凝縮され、コンプレックスを種として芽吹く。
■異常な環境はコンプレックスを作り出す
【05:36】文化「トラウマ」
そしてこの出来事はその時だけに終わらず、事あるごとに、何度も呼び起こされるのです。
日本の、文化によって。
バイトの面接、インカレサークルの集まり、合コン、就活、とその都度学歴は確認され
凄い、普通、へぇ~、といった他人の返しが自分の立ち位置を再確認させ、自分の学歴というものが気づかないうちに
トラウマ―触れてほしくない精神的傷として残る。
(文化水準以下の出来事は、トラウマを生む)
【06:08】風潮「反発心」
そしてあるとき、ふとこう思う
「学歴って本当に意味があるのか?」
この強い不信感は事あるごとに増し、それを肯定するかのように、時代の風潮が反発心を駆り立てる。
Youtubeを見れば、社会的成功者である堀江貴文さんや、小学生Youtuberゆたぽんなどが
「学校は意味が無い」
「学歴は意味がない」
と未知の領域である見聞を語り、我々はそれを―本質を捉えないまま丸呑みにし、拡大解釈を起こし、自分の中で意見を確立する。
しかしその意見は本質をついていないがため、ことあるごとに揺らぎ、反発心とコンプレックスの狭間で
迷いの生存を続ける。
(時代の新風は常に拡大解釈を起こし誤解を生む)
【06:52】高卒と大卒の年収の違い
「高卒と大卒の何が違うんだ」と言われれば、最も違うのは生涯獲得賃金です。
高卒と大卒とでは、生涯獲得賃金が平均して約1億以上違います。
厚生労働省が出している賃金構造統計調査によると、学歴、年齢、性を基準に50歳男性の年収を比較したところ、こういう結果が出ました
「大学・大学院卒は535万、高専・短大卒は401万、高卒は352万」と
平均して大卒と高卒では、同じ年齢、同じ性別でも、年間約180万―60年間で1億の差が開くことが、統計調査で明らかになっています。
今コロナ禍でなす術がない学生が多くいると報じられていますが、もっと具体的に言えば、学費が払えなくて自主退学になると、学歴は高卒になる。
高卒のまま就活に臨めば、60年のスパンで大卒と比べ、1億800万もの賃金差が出る。
コロナ禍の学生は、今その分かれ目に立たされている。
【08:01】高学歴者は金を稼ぐ実力を持つ
これまで、学歴を批判する理由はコンプレックスにある、大卒と高卒では生涯獲得賃金が違う、という既成事実を話してきましたが、結局学歴に関して最も勘違いが多いのはこれです。
「学歴があってもお金は稼げない」
「お金を稼ぐ為には実力がいる」
確かに正しいのですが、ここでピエロが誤解を解きたいのは高学歴であるということは
すなわちそのお金を稼ぐ為の実力を既に備えている事を意味するのです。
社会通念上、高給な職に就きたいなら、より良い大学を卒業する事が必要とされますよね。
でも逆説的に言えば、こうも言えるんです
「より良い大学を卒業した人たちを、高い給料を払ってでもいいから採用したい」
そう思う人たちがいる。
誰が?―大企業が
何故?―知っているから
何を?―高学歴者には、社会的に必要な実力が既に備わっている事を
社会的に必要な実力とは、何か?
圧倒的なセンス、抜きんでた能力、人並み外れた努力
ピエロが思うところ、社会的に言われる実力とは
「この3つのどれかが、結果を残すレベルまでいききっている状態」の事を指すと思っています
例えば東大を合格するということは、過去問を見てもらえれば分かるよう、暗記と、分析と、判断力において、常人の域を遥かに超えていることが、まず大前提なのです。
我々がこの東大を合格する、というプロジェクトを達成するためには、通常の努力や、通常のセンス、通常の能力では、運要素以外での達成はまずありえないのです
つまるところ、既にその東大を出ている学生は
- 結果が出る、努力の仕方を知っているか
- 結果を残すほど、センスがずば抜けているか
- 結果を残すほど、能力が高いか
いずれかであると、東大生であるというだけで断定できるのです。
また、ある社会通念で「東大生の癖に、何もできないな」という典型的な文句がありますが、東大生である理由は何も
凡人ができる事を卒なくできるから東大生である―のではなく
圧倒的なセンス、抜きんでた能力、人並み外れた努力
このどれかの実力を有しているから、東大生であるのです。
そしてそのはずの東大生が、社会人になって腐っていくのは
この宝石を磨く側にいる大人たちに、その能力を引き出す力がないためです。
東大生だから凄いのではなく、凄いから東大に入れたのです。
【10:28】大学が金儲けをしだした
元々大学の起源は福沢諭吉の慶應義塾大学にあり、大学について書かれた「学問のすゝめ」は日本中を席巻しました。
その内容は「お金を稼ぐ事は卑しい」という当時の固定概念を真っ向から否定した。
「自分で独立して、お金を稼ぐ事が生きる事の基本、それを大学に学びに来なさい」というものでした。
そう、これだけ大学が普及した理由は、元々実践的なお金を稼ぐ方法を学べたからなんです
しかしどうでしょう、大学に行っている皆さん。
近い将来役に立つ、お金を稼ぐ方法が学べていますか?
もちろん、学べていません。
何故か?学校が、ビジネス経営をしているからです。
もともと数学と英語だけだったコンテンツは、客からお金を吸い上げるため、家庭科、技術、音楽―と様々な理由をつけ増えました。、
この意味のわからないサービスに対し子供が「こんなの将来使わないじゃん」と言えば大人は
意味のわからない戯言を、話し出します。
【12:21】学問はお金を稼ぐ方法論
ピエロから言わせれば、もっともらしい理由をつけ増えた、このようなサービスコンテンツは
様々な業界との金銭的つながりや、新規雇用の獲得、サービス増加による売上UPなど、金儲けに走る学校の動きにすぎず、子供はその犠牲者です
子供にはいろいろな事を学ばせることが大切と、このビジネスをいくら擁護しても
学問の本来の目的である「自分で稼ぎ、生きる方法」を教えないで
「音楽、技術、理科」など、意味のわからないことばかり教えるがため、子供たちは大人になり
毎年2万人自殺し、今国民の4割は貧困状態にある。
我々は戯言を並べる前に、出ている結果に目を向けなければいけない。
学問はお金を稼ぐ為に学ぶものであり、学問を学ぶ為に学問をするというすり替えは、非常に残酷なビジネスの仕方です。
ピエロから言わせれば、今の殆どの大学や高校は、子供を騙した詐欺ビジネスモデルです。
本来「学問を学ぶ為に学問をする」くらい意識が高ければ、大学院という場所を別に作るべきなんです。
何故学校に行っても何も意味がないと、ホリエモンが言うのか?
学問とは、お金を稼ぐ為のものであると知っているからなんです。
「それを学べないのに行っても意味がないじゃん、だから学校は意味がないよ、子供ができても入れたくない」と発言するのです
【12:50】差別が生まれる理由
最後に、これは差別全般に言える事ですが、結局
差別意識は、弱者にある。
少し前、笑ってはいけないシリーズガキの使いで、お笑い芸人の浜田さんが顔面黒塗り姿で登場し、それが放送終了後「黒人差別だ」として大バッシングを受けましたよね。
多分純粋にその番組を楽しんでいた、多くの視聴者からすれば思いもよらなかった事ですが、外国人からしてみれば、あれは立派な差別だったんです。
またアメリカで、アメリカ人が日本の着物を着ることは、日本への差別に当たることを皆さんはご存じですか?
アメリカでは、他国の文化をマネすることはご法度であり、アメリカ人が着物を着ることは、日本人への差別に当たるのです。
しかしそんな事は知らない私たちは、アメリカ人が着物を着ていても何も思いません。
それは私たちがそれを、差別だと知らないからです
今回の蓮舫氏の話に戻れば、高卒差別だと叫んでいた多くは、自分の中に強い差別意識が根付いており
蓮舫氏からすれば、一つの事象を説明するために使ったに過ぎない言葉が、相手の脳を揺らしたのです。
浜ちゃんの、顔面黒塗りもそうです。
差別はもちろんいけないですが、元々差別など存在しない世界からすれば、差別だと感じる正体は多くの場合
自分自身の、コンプレックスにあるのです。
学歴という、名前もわからないビジネスマンが作った固定概念に踊り狂わされるのではなく、逆にそれをどう利用してやるか
自分の人生設計にどう使えるのかを考え、いらないならそれでお終いなのです。
差別も何も、ただそれだけなんです。