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食べ物を無駄にするな:才能の言語化#24

Summary

一つの角度、物の見方です。

エンターテインメントとしてお楽しみください。

Transcription

【00:00】問題提起

食べ物を無駄にするな。

数十年前、そんなクレームを大量にしてきた主婦たちに向けこんな番組が放送されました。

キャシーさんの料理番組です。

(テレビ番組)

【2:10】クレーマー達が作った現代の倫理観

これは数十年前、お笑い芸人の松本人志が、行き過ぎたクレーマーたちへの当てつけとして作った番組です。

ドラマでは、食べ物を無茶苦茶に扱っても殆ど文句は言わないのに、なぜバラエティで同じことをすれば、バラエティだけにクレームを入れるのか。

「この後スタッフがおいしく頂きました」と毎回テロップを入れるが

ぐちゃぐちゃに床に散らばったものでも、そのテロップ一つで何も文句を言わなくなるのは、どういう思考回路なのか?

床に散らばったものを人が食べるほうが駄目じゃないのか?

そもそも動物を食べモノだと多くの人は認識しているが、動物が食べ物だと勝手に決めているのは人間であって、最初から動物というのは人間に食べられるために生まれてきたわけではない。

その動物を食べモノとして扱うのも、セットの小道具として扱うのも、変わらない。変わると決めつけているのは、勝手な人間の倫理感。

お墓にご飯を備える文化が日本にはあるが、あのご飯を本当に死んだ人が食べるのか、というと、そういうわけではない。

多くの場合、結局あのご飯はゴミ箱に捨てられる。

ということはつまり、誰の口にも入れられずに最初からゴミ箱に行く、と分かっていてそのご飯を炊いている。

そのご飯は勿体ない、無駄ではないのか?

無駄ではない。

なぜならそこには意味があるから。

では、セットの小道具としての食べ物は無駄なのか?

無駄ではない。

なぜならそこには意味があるから。

もし教育上よくないというなら、そんな一テレビに左右されるような教育を施している、親の問題ではないのか?

実際昭和はもっとえぐかったと言われています、その昭和の子供たちは今十分に日本の要となっている。

過剰になりすぎていないか?

日頃のストレスを、クレームという形でメディアに向かって発散していないか?

その一つのクレームで何人の大人が仕事を失い、どれだけの人の楽しみが失われるのか知っているのか?

―チャンネルを変えれば、済む話じゃないのか?

このコントに隠された問題提起は、「世間への矛盾と怒り」です。

しかしその問題提起も及ばず、今は「その当時クレーマー達がしたクレーム」が現代の倫理観を形作っているので、非常に感慨深いなと思いました。

「今のテレビでは、昔と同じような面白いものはもう作れない。

作れないけど文句言わないでね、あなたたちがそうしたんだから。

あなたたちのお母さんがそうしたんだから」

―2001年 松本仁志 放送室より

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