Summary
怒りのコントロールの仕方について話しました。
Transcription
どうもこんばんは、ピエロです。今回は、怒りをコントロールし、きれない人格者になる方法について話します。
なぜ人間は怒るのかという、怒りのメカニズム。そしてその怒りはどうやって消すのかという、キレない技術。
これらを習得すれば最終的に、何を言われても動じず、冷静にいられる、ある種達観した状態にいたることができます。
冷静なふるまいにおいて、怒りほど邪魔な感情はありません。
【0:42】内観とは
最近様々な場で、瞑想といったセルフコントロール術に関する本が、たくさん出ていますが、私はそういったものに触れたことはないですし、今回の話はそういった高度なものとは関係ないです。
怒りとは何か、そのメカニズムをロジックとして理解し、それを意識でコントロールします。
皆さんはこの言葉を知っていますか。
内観、内観というのは、自分の内側を見るという意味で、自分の心に起こる、様々な感情、その感情が起きた時の、身体の状態を、客観的に理解することです。
皆さんもそうだと思います。人は笑うと、口から勝手に声が出て、目をつぶろうとし、腹筋に力が入る。大笑いすると涙が出てきて、頭の中の意識が飛び始め、呼吸困難になるほど声が出るんです。
このように感情とは、それが起こる時には、一定の法則性があり、その分析を、実際笑っている最中に行うと、本能的にこみ上げる笑いというものを、コントロールし、抑え込むことができるんです。
完全なるノンストレスで、もちろん笑うというのはいいことですし、笑いをおさえる必要性もないですが、全く同じ理論で、怒りをコントロールすることができます。
【1:27】体得とは
ここで少し話したいことがあるのですが、このキレない技術に関してもそうですが、物事を体得するというのは、その理論と方法論を聞いたから、イコールすぐ自分にできるというわけではないんです。
スポーツや勉強と同じように、そのスキル、能力の習得には、その方法論の本質を意識した上で、何度も何度も繰り返す、練習する必要があるんです。
意外とみんなそれが、わかっているようでわかっていないんです。
まさにこれだ、そう思った次の日から、即できるわけではないんです。人間は元々未熟。だから練習を必要とし、時間をかけることを必要とする。
やはり本物の知識は、実際に行動した人間にしかついてこないです。
8歳の人間でもその理屈を理解するのに、80歳の人間ですらそれを体現できない。今はそんな世の中です。
私には何が正解なのか、正直わかりませんが、何事も、実行にこそ価値があると、今はそう思っています。
そしてその手助けをするのが、このチャンネルの最大の存在理由です。
【2:24】内観の具体的やり方
まず、自分の心を見つめる。そして、自分の身体を見つめる。
例えば兄弟と言い合いになった、なんでそれができない。毎回同じことを言っているだろと、カチンときて言い合いになる。
その時怒りを鎮めるのは、非常に難しいです。
なぜならそれは、人間の本能。怒りとは防衛本能であり、自分を守るために自動的に起きてくる感情だからです。
ボールが自分に向って飛んできて、それを目を閉じないで、顔面で受けられる人は、ほとんどいないんです。
みんな条件反射的に目を閉じる。
同様に怒りも、誰かに何かを攻撃的に言われたら、その瞬間、自分の怒りのスイッチが、反射的に起動するんです。
でもその反射的に起動した怒りを、あっ、起動したと思考し、それを抑え込む事は可能です。
急に目の前に飛んでくるボールも、予め飛んでくるとわかれば、目を閉じないでも対応できるように。これが、体得です。
ムカつく、ムカつく、なんであんなことを言わなければいけない。
あれはあっちの責任で、あんなことが起こったのに、なんであいつが逆ぎれしているんだ。ムカつく。
私は今すさまじくムカついている。チクショー、チクショー、そう口に出して、言語化するんです。
そうすると、怒っている自分を俯瞰的に見れるようになる。
自分は怒っている。自分は怒っている。なんで。なんで自分は怒っているのか。
この反射的に出た怒りを言語化することで、意識的な怒りに、すり替えてしまうことが可能。
また怒りが強ければ強いほど、身体にその怒りが現れようとします。
手がピクピクと震えてきて、頭に血が上りだし、息が荒くなり、何かを殴りつけたくなる衝動に、駆り立てられる。
怒っている最中に、自己分析をすると、脳内にたまっていた怒りの感情が、筋肉に伝わりどうにかして、肉体で怒りを表現しようとしていることがわかります。
その時自分の中には、わき上がる怒りの感情、本能悋気と、それを眺め客観的に分析している、理性悋気が同時に存在している。
そういった感覚があるのが、感じられます。
この2つの悋気、本能と理性がぶつかり、本能悋気が勝ってしまうと、かーっとなるわけです。
物に当たったり暴言を吐いたりする。だけれどもその後、理性悋気が、本能悋気に向かってこう言うんです。お前はそれでいいのか。これはお前にとって、本当に得な行動なのかと、理性悋気が諭してくる。
ただここで勘違いしてはいけないのは、怒りの感情がハナから欠如しているという人など、この世には稀で、修行でそれを成し遂げたというのなら、それは悟りの境地です。
何故なら怒りとは、防衛本能だからです。
つまり、はなから怒るなというわけではなく、怒ってしまった自分というのを、できるだけ早い段階で理性悋気が制する。
そうすることで、怒りが表面化する前に、鎮火することができます。その具体的な方法が内観。
こみ上げる暴力的な、触れれば爆発しそうな感情を、客観的に言語化し続け、眺める。
練習を積み重ねていく内に、ぱっと怒るんだけれども、それがすーっと鎮まっていく。
カーっとムカつくんだけれども、それを冷静に見ている自分がいる。そんな状態が訪れます。
最も怖いのは、怒りというものに飲まれてしまって、自分が何をやっているのかわからない。この状態です。
本能悋気で着火した怒りに、さらに理性悋気が火に油を注ぐようにして、それを増長させていく。
殺人等もその典型です。毎年日本では、約300件ほど、殺人事件が起きますが、殺人した人たちのほとんどが、こう言っています。
気づいたら刺していた。気づいたら、血まみれの人がいたと。
これが、本能悋気が勝っている状態です。頭の中が一瞬まっ白になって、理性悋気が吹き飛ぶ。その状態が一番怖い。
自分の呼吸、行動、息遣い、そういったものを眺め言語化し、意識で理解し、制御、使いこなしていく。
そうすることで自動的に、怒りは治まっていきます。
それは我慢するというよりも、達観したという感じで、感情の起伏が無くなってきます。