Movies Youtube

怒りのメカニズム:才能の言語化#17

Summary

怒りのコントロールの仕方について話しました。

Transcription

どうもこんばんは、ピエロです。今回は、怒りをコントロールし、きれない人格者になる方法について話します。

なぜ人間は怒るのかという、怒りのメカニズム。そしてその怒りはどうやって消すのかという、キレない技術。

これらを習得すれば最終的に、何を言われても動じず、冷静にいられる、ある種達観した状態にいたることができます。

 冷静なふるまいにおいて、怒りほど邪魔な感情はありません。

【0:42】内観とは

最近様々な場で、瞑想といったセルフコントロール術に関する本が、たくさん出ていますが、私はそういったものに触れたことはないですし、今回の話はそういった高度なものとは関係ないです。

怒りとは何か、そのメカニズムをロジックとして理解し、それを意識でコントロールします。

皆さんはこの言葉を知っていますか。

内観、内観というのは、自分の内側を見るという意味で、自分の心に起こる、様々な感情、その感情が起きた時の、身体の状態を、客観的に理解することです。

皆さんもそうだと思います。人は笑うと、口から勝手に声が出て、目をつぶろうとし、腹筋に力が入る。大笑いすると涙が出てきて、頭の中の意識が飛び始め、呼吸困難になるほど声が出るんです。

このように感情とは、それが起こる時には、一定の法則性があり、その分析を、実際笑っている最中に行うと、本能的にこみ上げる笑いというものを、コントロールし、抑え込むことができるんです。

完全なるノンストレスで、もちろん笑うというのはいいことですし、笑いをおさえる必要性もないですが、全く同じ理論で、怒りをコントロールすることができます。

【1:27】体得とは

ここで少し話したいことがあるのですが、このキレない技術に関してもそうですが、物事を体得するというのは、その理論と方法論を聞いたから、イコールすぐ自分にできるというわけではないんです。

スポーツや勉強と同じように、そのスキル、能力の習得には、その方法論の本質を意識した上で、何度も何度も繰り返す、練習する必要があるんです。

意外とみんなそれが、わかっているようでわかっていないんです。

まさにこれだ、そう思った次の日から、即できるわけではないんです。人間は元々未熟。だから練習を必要とし、時間をかけることを必要とする。

やはり本物の知識は、実際に行動した人間にしかついてこないです。

8歳の人間でもその理屈を理解するのに、80歳の人間ですらそれを体現できない。今はそんな世の中です。

私には何が正解なのか、正直わかりませんが、何事も、実行にこそ価値があると、今はそう思っています。

そしてその手助けをするのが、このチャンネルの最大の存在理由です。

【2:24】内観の具体的やり方

まず、自分の心を見つめる。そして、自分の身体を見つめる。

例えば兄弟と言い合いになった、なんでそれができない。毎回同じことを言っているだろと、カチンときて言い合いになる。

その時怒りを鎮めるのは、非常に難しいです。

なぜならそれは、人間の本能。怒りとは防衛本能であり、自分を守るために自動的に起きてくる感情だからです。

ボールが自分に向って飛んできて、それを目を閉じないで、顔面で受けられる人は、ほとんどいないんです。

みんな条件反射的に目を閉じる。

同様に怒りも、誰かに何かを攻撃的に言われたら、その瞬間、自分の怒りのスイッチが、反射的に起動するんです。

でもその反射的に起動した怒りを、あっ、起動したと思考し、それを抑え込む事は可能です。

急に目の前に飛んでくるボールも、予め飛んでくるとわかれば、目を閉じないでも対応できるように。これが、体得です。

ムカつく、ムカつく、なんであんなことを言わなければいけない。

あれはあっちの責任で、あんなことが起こったのに、なんであいつが逆ぎれしているんだ。ムカつく。

私は今すさまじくムカついている。チクショー、チクショー、そう口に出して、言語化するんです。

そうすると、怒っている自分を俯瞰的に見れるようになる。

自分は怒っている。自分は怒っている。なんで。なんで自分は怒っているのか。

この反射的に出た怒りを言語化することで、意識的な怒りに、すり替えてしまうことが可能。

また怒りが強ければ強いほど、身体にその怒りが現れようとします。

手がピクピクと震えてきて、頭に血が上りだし、息が荒くなり、何かを殴りつけたくなる衝動に、駆り立てられる。

怒っている最中に、自己分析をすると、脳内にたまっていた怒りの感情が、筋肉に伝わりどうにかして、肉体で怒りを表現しようとしていることがわかります。

その時自分の中には、わき上がる怒りの感情、本能悋気と、それを眺め客観的に分析している、理性悋気が同時に存在している。

そういった感覚があるのが、感じられます。

この2つの悋気、本能と理性がぶつかり、本能悋気が勝ってしまうと、かーっとなるわけです。

物に当たったり暴言を吐いたりする。だけれどもその後、理性悋気が、本能悋気に向かってこう言うんです。お前はそれでいいのか。これはお前にとって、本当に得な行動なのかと、理性悋気が諭してくる。

ただここで勘違いしてはいけないのは、怒りの感情がハナから欠如しているという人など、この世には稀で、修行でそれを成し遂げたというのなら、それは悟りの境地です。

何故なら怒りとは、防衛本能だからです。

つまり、はなから怒るなというわけではなく、怒ってしまった自分というのを、できるだけ早い段階で理性悋気が制する。

そうすることで、怒りが表面化する前に、鎮火することができます。その具体的な方法が内観。

こみ上げる暴力的な、触れれば爆発しそうな感情を、客観的に言語化し続け、眺める。

練習を積み重ねていく内に、ぱっと怒るんだけれども、それがすーっと鎮まっていく。

カーっとムカつくんだけれども、それを冷静に見ている自分がいる。そんな状態が訪れます。

最も怖いのは、怒りというものに飲まれてしまって、自分が何をやっているのかわからない。この状態です。

本能悋気で着火した怒りに、さらに理性悋気が火に油を注ぐようにして、それを増長させていく。

殺人等もその典型です。毎年日本では、約300件ほど、殺人事件が起きますが、殺人した人たちのほとんどが、こう言っています。

気づいたら刺していた。気づいたら、血まみれの人がいたと。

これが、本能悋気が勝っている状態です。頭の中が一瞬まっ白になって、理性悋気が吹き飛ぶ。その状態が一番怖い。

自分の呼吸、行動、息遣い、そういったものを眺め言語化し、意識で理解し、制御、使いこなしていく。

そうすることで自動的に、怒りは治まっていきます。 

それは我慢するというよりも、達観したという感じで、感情の起伏が無くなってきます。

-Movies, Youtube
-, , , ,