Movies Youtube

突出した子を集めた英才教育に挫折「指導が間違っていたと認めないといけない」


【00:00】失敗したギフテット教育

「都内NPOがギフテット教育を廃止、指導が間違っていたと認めないといけない」という、非常に興味深い記事がありました。東京中野区NPO法人昭和学園の中村さんが

レベルが高い集団で英才教育を施し、一芸を伸ばす―そんな単純なものではなかった。

と失敗を振り返りました。

そもそもギフテット教育は「発達障害」を抱えている、特に小学校の不登校児の中にIQが飛び抜けて高い子が一定数いたことが始まりで、そこで2015年からIQ130以上を目安にした小学生を集め、そこからギフテット教育がスタートしました。

具体的に子供たちはそれぞれが関心のある分野を重点的に取り組み、インターネットを駆使した相対性理論の学習など中村さんは「我々では教えられない高度な部分も多く、外部の大学院生などを招き行った」と言います。

そしてあるとき、実際に「この子たちの将来の働き場になる」と想定した「IT企業の技術者」や「大学の研究者」にに来てもらいました。ところが評価は厳しいもので、甘さを痛感しました。指摘されたのは

小学生にしてはすごいがこのレベルの子は高専にはたくさんいる。

ネットで調べた形式的な知識はあるが、科学の基本的概念の理解が浅い。

周囲の助言にあまり耳を傾けず、実際に失敗したときの諦めも早い…これでは厳しいよ。

というものでした。

そう言われてよくよく見ると、IQが高くて弁説も巧みなので、大人が関心するようなすごいことを話しているのですが「資料を丸暗記しているだけで、本質的な部分は理解できていないのではないか?」と感じることもありました。

またIQで選抜したことにより、子供たちが悪い意味での「特別感」を持ってしまった面も見受けられました。これをきっかけに医者ら運営に協力いただいている外部の有識者の方とも相談し、「私たちの指導方針は間違っていたと認めないと、次には進めない」という結論になり、アカデミックギフテットクラスは3年後の18年に廃止しました。

この挫折から得た教訓は「IQの高さばかりに注目していたが、社会で生活をうまく営むための発達に「飛び級」はない」ということです。成長のためには、やはり「基礎学力」「強調性」「やりぬく力」が欠かせません。

結局は長所を伸ばすためにも「基礎」が必要なんです。その基礎小学校で学ばなければいけない。それが苦手なIQの高い子たちは「一律的な形ではなく、個別に適した形を模索していけばいいと思いました」と。これすごいんですが

「未来のエジソン、アインシュタインを育てる」という目標も変わったのでしょうか?

という質問がありました。中村さんは

その目標も反省点です。「イノベーション」という分かりやすいキャッチフレーズにとらわれて、私たちは才能に「優劣」をつけてしまった面もありました。

IQの高い低いは「個人差」でしかありません。それぞれの個性が成功につながる才能でした。今は勝者総取りではない形で社会の発展に寄与する人材を育てることを目出しています。

と、ギフテット教育が実質的に失敗した話をしてくれました。

【03:05】天才とは「現象」である

これピエロが1年前か2年前に「IQがすごい高い人たちが集まるバー」を例えで話したことがあったんですね。

そのとき指摘したんですが、おそらくこのNPOを立ち上げた中村さんのように、多くの人が「IQが高い人に期待する妄想」と「実際にIQが高い人たちを行ってる現実」にギャップがあると思うんですね。

おそらく中村さんも「IQが高いと何か結果が出せるんじゃないか?」と紐づけたと思うんですね。「その才能を生かしてくれ」みたいな。でもそのバーでは、ピエロよりも5歳も10歳も、15歳も年上の人たちが集まって話していたんですが、多くの人は「普通の職業」につき、特に変わったことは何もやってなかったんですね。ただ話をしていたんです、自分の好きな話を。

結局多くの人が「天才」という意味を誤解しているからギャップが生まれているんだと思うんです。天才というのは、何度も言って申し訳ないですが「現象」なんですね。現象とは、つまり「結果」のことです。IQが高いだけではなくて、その高いIQで社会に何かしらの「結果」を出したならそのとき初めて「天才」と言っていいと思うんです。

IQが高いだけならそれはただの「個性」の話なんですね。例えば欧米では大学に飛び級する小学生がいますが、これは「小学生で大学の入試に合格した」ってことなんで天才ですよね。「大学の資格」という「社会的結果」を確認できましたから。

ただ今回の高IQの小学生を集めたアカデミーは「結果」を確認しなかったんです。いつ確認したかって、ITの社会人を呼んできて、そこでやっと「社会的結果」が分かったんです―「何も通用しない」って。その子たちを理解するのに「3年」かかってる正直もったいないんですね。

なぜこういうことが起こるかって、「天才という解釈を見誤った」からです。

これは本当に共通理解になってほしいなって思うんですけど、大人が今社会で何をしているのかって、「結果」を出しているんですね。

  • 「誰かの役に立てたらいいな」じゃなくて、「立たなきゃいけない」し
  • 「誰かを救いたいな」とかじゃなくて、「救わなきゃいけない」し
  • 社員がいるなら、社員に「給料を払っていかなきゃいけない」

このように、結果を出し合っている中で、この社会は均衡が取れてる、っていう。その上では結果を出すことは「当たり前」なんですね。これをやっているのはギフテットの子の話ではなく、ただの「一般人」の話です。

ITの方が小学生を見に来て思ったのもそこだと思います。結果が出しているのか、と。「天才だと聞いたんで、どんなことができるのか見に来ました」って。これは本当にシビアな話ですが、この社会では結果が出せなかったらそれは「レベル1にも満たない」ってことなんですね。

大人になったらすごい結果出しても、天才なんて言われないじゃないですか。「当たり前」ってなってる。子供だから天才って言われているだけかもしれない。先ほども言いましたが、天才というのは「現象(結果)」のことで、本当に天才なら基準として「自分で稼げる」とか「援助してもらえる」とか「何か社会的資格が取れる」とか、多くの場合そのレベルに達しているのが名刺代わりに必要ですよね。

【06:05】結果を出してこその天才

もしそうじゃないなら「社会的基準」では天才であるとはお世辞にも言えないってことです。中村さんが甘さを痛感したと言っているのもそこじゃないでしょうか。子供の域を出てないっていう。

ギフテットって言われるレベルの子たちは、中村さんは大人扱いして、実際に大人呼んで、基準も大人に合わせようとしたっていう。もちろん成長段階が人によってぐちゃぐちゃだし、中学生なんて「結果が出なくても素養がある」と見るパターンもありますが、素養なら誰にでもあるんですね。

本当にぶっちゃけると「IQが高い」とか「天才と言われている」「才能がある」とかそういう人たちを色々見てくる機会がありましたが、今いる私たちの社会では「IQが130ある1本」では「才能がある」程度では「周りから天才と評価される程度」では、正直学問的にも、資本的にも、この今いるピエロのラインに達するのすらキツイっていうのが、世の中のリアルなところですよね。

もちろん、ピエロなんか足元にも及ばないくらいすごい人たちがたくさんいますが、大人になると「高度なことなんてできるやつはみんなできる」っていう。「高能力だけ」ってそれぐらい実は「大したことない」とも取れるし、逆に言えば「そのぐらい世の中はシビア」とも取れます。

この立ち上げた当時の中村さんも「能力が高いこと」を過大に評価しちゃったと思うんですが、是非この動画を見た中でギフテットというレベルの子供がいるなら、そのお子さんが「社会的結果を出せるのか」確認してみてください。

まず「才能」が基準に達してるのか、そこで「結果」が出ないなら「ギフテット」とかいうやばい言葉は使わない方がベターですよね。アメリカとかは「大学合格」とかそのラインを超えてから、周りが本格的にギフテット扱いするイメージがあるので、そういう「具体的な結果」が欲しいですね。

問題は「能力が1つ高いくらいでは、社会ではすぐ埋もれる」っていう現実と、「社会適用が苦手」ならまだマシですけど、「させてこなかった」ってなったら、「本当の天才」ではない限り―つまり「本当に結果が出せる人」ではない限り、その後相当ハードになるってことですよね。

-Movies, Youtube
-, , , ,