Movies Youtube

【それバレてます】私の人生は「3の目」位という言い訳:才能の言語化#20

Summary

ADHD、アスペルガー、発達障害、貧困、恵まれない家庭、いじめられっこ、子供の時そうだったから大人になってもずっとそう。というのはちょっとおかしいと思います。

Transcription

【00:00】運とは何か

どうもこんばんはピエロです。

今回は運について話そうと思います。

私はこの運という言葉が正直あまり好きではありません。

すべての物事は言葉で説明可能だと思っているからです。

もし説明しきれなかったとしても、それは説明できるだけの言葉や知識や経験が自分の中に内から

「今」は説明できないだけだと強く信じています。

ただ、それはビジネスにおいての話です。

私は都市伝説、スピリチュアル、未確認生命体、そういった類はほとんど分からないですし、日常生活でのラッキー的な事を話すわけではないです。

あくまでビジネスにおいての「運」のお話です。この話を聞けば現実を直視することができます。

運というのは、そもそも我々の前に公平に存在するもので、その運をつかめたとき我々は幸運だと感じ

その運を掴めなかったとき、我々は不幸だと感じる。

確率論のことを運だと、私たちは言います。

例えば、サイコロを振って3の目が出れば100万円が貰えるゲームをするとします。

振れる制限回数は6回です。

制限回数6回以内に1回でも3の目が出れば100万円がもらえます。

サイコロの目は6つなので3の目が出る確率は6分の1です。つまり

「このゲームをすれば理論上は誰でも100万円をゲットできる」しかしそれは理論上の話です。

運の悪い人はここで、6回振って1回も3の目が出なかったり、逆に運のいい人は、6回振って4回連続3の目が出たりします。

この瞬間私たちは「俺は運が悪い」「私は運がいい」と思うんです。

ただ、それは「回数制限というルール」が存在するゲームの場合の話です。

こう仮定してください。

サイコロを振って、3の目が出れば100万円が貰えるゲームをするとします。

ただし制限時間24時間以内。

先ほどは6回という回数制限を設けられ、行動を起こすこと自体に制限がありましたが、次は24時間以内でなら何度でも行動に起こすことが可能になりました。

1日24時間―1,440分サイコロを振り続け、3の目が出た都度100万円が加算される、振ったら振った分だけ貰えるということです。

行動を越せば起こした分だけ、対価が支払われます。

どうでしょうか?結果的に24時間後、あなたは30億円をゲットしました。

つまりサイコロの3の目を3,000回出したんです。

そのために振った合計回数は24時間で18,000回。

よく頑張りました、凄いです。

―しかし隣の人はもっと凄かった。

50億、貰っていたんです。

つまり24時間で30,000回サイコロを振り、サイコロの3の目を5,000回出したという事です。

あなたよりも15,000回多く振り、3の目をあなたより2,000回多く出した。

ここであなたはその5億を見て

「やっぱり俺は運が悪いな…」と考えますか?

考えないんです。

確かに「もっとできたかもしれない」そういった競争心は生まれるかもしれません。

でも相手の5億を見て、それが運だとは思わないんです。

なぜなら、あなたも必死で頑張ったから。

自分の3億と相手の5億というこの差は、「2,3の連続するラッキー」などという次元ではない事を。

そんなことより、一秒でも多く振り続けなければならない。

その精神的ストレスや、手の痛みや、辛さが

運ごときでは語れないことを、身をもって知ったからです。

2:46 先天的才能の差を語る (ミスがある)

60億の資産を抱える億万長者を見て人々は

あいつは先天的な才能に恵まれた。

環境に恵まれた。

生まれ持った知能指数に恵まれた

と、その結果をそう説明します。

ただ、60億を稼いだ本人が回答するとすればこうです。

「お前は環境やDNAに恵まれただけだ」

確かに私の家庭は一般水準よりも裕福で、家庭教師も小5からつき、大学まで卒業させて貰った。

その間、官僚(政治家)になるための話をずっと聞かされてきたし、本当に優秀な親であり、環境に恵まれた。

でも私が今60億の資産を保有できているのは、それだけでは説明できない。

もちろん私は社会的な結果を出したから、自分が人とは違う才能に恵まれた、と思うことはある。

その点で言えば、生まれ育った環境やDNAもあるのかもしれない。

ただ、「ビジネスなめんなよ」という話で、私は感覚で適当にやってきたわけじゃない。

そして親は政治家であり、経営者ではない。

私はこの頭一つで

0から事業を立ち上げ

そこから40年やってきた。

その結果今、60億を所有している。

痛い目など誰よりも見てきたし、事業は何十個も潰してきた。

恵まれているはずの自分なんかより、遥か先の結果を出す凄い人を沢山見ては悔しい思いもしてきたし、ライバル会社に潰されかけた事もあった。

雇った社員にお金を持ち逃げされたこともあったし、商品に虫が入っていて何十億もの損失を出したこともあった。

この40年のあいだ、地獄のような苦しみを味わってきた。

その過程全部無視して、40年前のあの瞬間の、あの過程を待ちだされても

全くもって論外

お前は、生まれ持った知能指数の高さに恵まれた?

じゃあ聞くが、なぜ私は知能指数に恵まれているのに

あのとき、社員に恨まれて

あのとき、壮絶なクレーム対応を受けて

あのとき、破産届を出して

あのとき、なぜ自殺を考えなければいけなかった?

生まれ持ったセンスや知能指数はなんで

あのとき、未然にあの問題を防いでくれなかった?

あのとき、私が死を選択せず今こうやって結果を残したのは

生まれ持ったセンスでも環境でも、知能指数でもなく

私がこのビジネスをやる上でしてきた、血の滲む様な努力と

その過程で開花し続けた独創性(センス)と、鍛え上げたハートの強さでしかない」

【4:39】私は生まれつきの欠点と 能力のなさの犠牲者です

多くの人はこう思っています。

「生まれる前にサイコロを1回振り、その出た目で人生は決まり、その出た目の範囲でしか生きていくことはできない」

冗談抜きに、本気でそう思っているんです。

だからDNAとか、環境とか、知能指数とか、先天的なものに著しく固執し、それでその後の70年、80年の人生すべてを語ろうとする。

そういう大人(被害者)で、この日本は渋滞しています。

ただ、努力をもって現状を変えた人は、皆知っているんです。

出た目1回如きで、その人の人生全てを語れるはずがないことを

サイコロを振るのに、実は「制限回数」はないことを。

出た1回目が最悪でも、2回目、3回目振るチャンスはある。

ただ皆ビビッて振れないだけだ、という事も知っている。

戦後の日本を見れば、分かります。

あそこから這い上がって来た人たちは、とんでもない回数を振っています。

飢餓より最悪な状態がないことを、知っていたから。

みんな背水の陣で、何でもしたんです。

【5:32】身の程を知る

「ヤバいなこれは、遺伝子で決まってるって言ってるのと同義なんだよね。エッセンシャル思考のスピードは知能指数で決まる、って言ってるようなものじゃんか。同じエッセンシャル思考の人がいたら、知能指数の高い人が勝つよね?」

Youtubeのコメントでは、よくこういった「生まれた環境論、遺伝子論」が展開されていますが

私がYoutubeで用いる例え話は、経営やトレードなどといったニッチな話ではなく、殆どYoutubeを例に話しているんです。

Youtubeは今この瞬間から、誰でも始められるビジネスであり、ビジネスの中でも特に収益の上げやすいモデルです。

小学校低学年でも、片腕がなくても、言葉がうまく社喋れなくても―収益があげられるビジネスモデルは、本当にまれです。

私は今までそういったレベルの話しかしていません。

この飛躍的要素皆無の話を聞いて「才能の差が―」とか「子供時代の環境が―」とか「先天的な―」とかってコメントが毎回来ますが

正直ありえないです。

確かに、先ほど挙げましたこの知能指数の話も、無い話ではないです。

本当にセンスみたいなものが最初からある人がいて、レベルの違いみたいなものを感じることは実際、私も今まで何度もありました。ただ

「あなたは、どこを見ているのか?」という話なんです。

1年で10億売上げを上げようとしているのか

生涯100億稼ごうとしているのか

…物凄いな、という話です。

語弊を恐れず言えば―まずは身の程を知らなければいけない。

自分は、どこを目指して話しているのか。

運だ、知能指数だ、環境だ、と。

どこを目指しているんだ、という話です。

その運とか、環境とか、才能とかっていうのが、明確に現実に反映されてくるのは、その分野の第一線レベルでの話です。

とんでもない、高次元なんです。

「学校の友達が運動神経良くて―」とか「友達が東大に行って才能の差を感じた」とか、そんなレベル1みたいな次元の話で運とか、環境とか語ってませんか?

ビジネスで言えば、個人で月収入1,000万、年間1億2千万円以上稼ぐ状態でやっと「センスや環境」みたいな議論が始まると思います。

でも、そのラインですら努力で超えられる。

ただあなたは、その人生を歩みたいのかという話です。

現代人の90%以上はこう思っています。

「お金はそこそこでいいから、やりがいが欲しい。」

「人に気を遣わないでいい」とか「マイペースで自分のやりたいことをしたい」とか「自分の好きな時間に起きて仕事ができたら」とか「在宅でできる仕事があったら」とか

現代人の欲求はそのレベルに終始していて、そんな状態で求める収入など知れています。

明確にしておきたいのですが個人で月50万円、年600万円稼ぐとか。

個人で月100万、年1200万稼ぐとか。

そのレベルは、全く才能などいらない努力の範疇の出来事です。

そして皆それで十分だと思っていて、実際そこを夢見ている。

そのレベルの話に先天的なものなど、全くいらないです。

いるのは知恵と、根性と、多少のセンスのみです。

そのセンスも、才能の言語化で解説しています。

ただそこに到達している人が異常に少ないのは、日本の文化背景が原因なだけです。

例えば「就職シーズン」という誰得の文化が設けられていたり

アメリカでは優秀な人は就職などせず起業するのに対し、日本人は優秀であろうと関係なく「大企業志向と謎の文化」がそのはハードルを高くしているだけです。

またこれも覚えておいて欲しいのですが、早稲田大学合格レベルの努力量がもしビジネスの場でもできるのなら、個人としての活動で富裕層クラスは行けると思います。

つまり圧倒的成功、圧倒的勝者を目指さない限り―ビジネスで言えば個人で年収1億、10億のラインを目指さない限り

私たち一人一人の人生において、その目的レベルから先天的センスや運を語る機会は、どんぐりの背比べレベルでしか起こりえなく、そのレベルの競争は「外部から情報を仕入れ実行する」という行為で簡単に差を付けられます。

【8:57】結論

運というのは自分が欲しているものが確率論でやってくることを言い、それは全くコントロールできないものではなく、運というのは試行回数が多ければ遭遇する回数も多くなる。

そして生まれた環境や知能指数DNAなどといった先天的差が私たちの現実で本当の意味で弊害となるのは、ビジネスで言えば「個人で1億のライン」から初めてその議論が始まる

つまり9割の日本国民はそこで戦っていない。

もしくは目指してもいないため、生まれた環境DNAレベルの差を嘆く必要性がない。

努力や微量なセンスで完結する世界にいるのだから、嘆いていいレベルにも達していない。

【9:32】発達障害

「アスペルガーだから私にはこれができない。」

最近なぜか凄くそういうコメント多いですが、勘違いしてはいけないのは「向き不向きなど誰にでもある」という事で、片腕がなければ足や口を使った仕事をすればいいですし、集団行動や記憶力に問題があるなら、一般的な企業に入るのではなく、一人で黙々とできる仕事をすればいいのです。

私は最近ADHD診断をしてもらいました。

ADHDとは注意欠如、多動・衝動性という発達障害の概念の一種で診断には35項目あり、当てはまる個数でその度合いが決まるのですが、私は35項目中32項目に当てはまり見事にADHDでした。

私は「発達障害」という括りに入るらしいです。

ただ、だからどうしたという話で、自分の欠点など人から診断されるまでもなく既に分析済みで、そこをカモフラージュする為の能力やセンスは、既に会得済みなんです。

私たちの人生にとって、そういう診断書や障がい者手帳は、響きの悪さ以外に何の意味もないんです。

それなのに「知能指数が―」とか「生まれ育った環境が―」とか「先天的な―」とか「アスペルガーが―」と、そんな事を言って共感してきても、相手はあなたのことを何も考えていないし、あなたを現状維持が、後退に導くだけです。

感覚的で申し訳ないのですが、この日本社会には沼みたいなものが存在するんです。

被害者意識、弱者意識は生きる上で不必要。

可哀想とか、哀れみを乞う人間になるな。

とにかくマイナスな存在から距離を置く。

障がい者とか、健常者とか、そんなハードルはとっくの昔に消えた。

-Movies, Youtube
-, , , , , , , ,