Summary
新しいことに挑戦する歩みの体系化と今の日本の現状、宗教とはなにかについて話しました。この動画は大愚和尚のお話を再現しました。
Transcription
【0:00】世界にあって日本人にないもの
これからグローバルな時代に入ります。
日本は戦後信仰が解体されました、マッカーサーの政策によって。
そして日本政府は喜んで信仰を捨てていきました。
明治維新が終わったときの日本の人口は、約4000万人。
毎年毎年人口が増加し、特に戦後、第二次世界大戦後、一気に人口が増えました。
その数1億2000万人。これから減っていきます。
政府は危機管理委員会で、ある決定がなされました。
これから日本人が減り続ける。5000万人まで減るという見込み。
でも1億人欲しい日本人口として。どうするか。
外国人をこれから入れていきます。外国の方がこれから増えていくんです。
われわれを放っておいてもグローバルにならなきゃいけない。
グローバルになるとは、どういうことか、英語をしゃべれることか。
いいえ、違います。英語がしゃべれる必要はない。
ただ世界の人々が持っていて、今の日本人が持っていない決定的なものが、二つある。コミュニケーション能力と信仰心。
コミュニケーション力とは、英語をペラペラしゃべれることではない。
コミュニケーション力とは、自分の思ったことを適切に伝えることです。
今の日本人は、この力が欠落している。
もう一つは信仰です。
信仰と聞けば、皆さんもご存じのとおり、日本人はその体系を非常に嫌います。
胡散臭いなどという感情を抱き、もし身近で信仰をしていたら、やめておくというほどに、それは日本で起きた宗教テロや、戦後マッカーサーの宗教解体、仏教以外の宗教は暴力で布教した歴史などがあるからでしょう。
私も初めは宗教というものに対し、非常に抵抗を抱いていました。
しかしそれは何の知識もない、非常に浅い、思考上ででした。
ある例があります。イスラムの方々。
日本で大震災が起きたとき、もっとも早くその被災地に到達した人たち、それは日本人ではないんです。
イスラム教徒の方々なんです。
ある人は名古屋に住んでいました。
普段経営者として活動されている方で、震災が起きたと話を聞きつけたとき、
その方はすぐに会社を部下に託し、親戚に電話をかけ、子どもを頼むと残し、その足で工務店に向かいトラックを借り、買い占めが起こる前にカレー粉を買いあさり、
東北につながる道路で、封鎖をしている警察がいれば「俺たちに人見捨てろというのか」そう言い放ち、警察の阻止をぶち抜き現地へ向かったのです。
水が引くのに3日間 かかったと言われますが、水が引いて一番最初、その土地に到着したのはイラン人の方です。
そこで炊き出しを行いました。その後自衛隊が来たんです。
なぜですか。なぜ彼にそんな行動力があるのか。
答えは非常にシンプルでした。
コーランという聖書、そこには、天災で人々が苦しんでいるとき、何をおいても必ず苦しんでいる人を助けにいきなさい。
そういう教えが書いてあるからです。
怖いとか恥ずかしいとか、えっ、自分がとか、放射能がとか、そんなことは関係ないんです。
日本人のわれわれには想像が困難でしょうが、世界の信仰ある人々は、それくらいの行動力を持って日々を生きています。
【3:07】働くとは
今、働き方改革などが起きて、比叡山で働いているお坊さんたちまでブラックだと訴えられています。
別のいいのですが、別にそれでもいいのですが、ただわれわれが忘れてはいけないのは、仕事というのは本来やらされるものではなく、やりにいくものなのです。
ただ私はこの小さな会社のために一生懸命働く、命燃え尽きるまで働くという人たちが戦後日本の高度成長期を支え、世界のトップまで日本国を這い上がらせた。
今、そういうコミュニティは、ほぼ消滅しました。
戦後高度成長期から伸びてきた日本の経済は崩壊に向かい、実際多くの中小企業はコロナをきっかけに終わりを告げ、大企業も勢いが低迷し、暗黒期に入れば、その技術は全て海外へ買いたたかれています。
日本では今、技術が、人材が、成長しない仕組みがどんどん作られている。
日本人というブランドがその影響力を弱めている。
嫌なこと、汚いことは全部外国人に押しつけ、自分たちは仕事がない、お金がないと嘆いている。
そういう人たちもだんだん増えてきた。それは皆さんの責任ではないんです。信仰を失ったからです。
ロシアという国に行くと、90パーセントがロシア正教徒です。
日本よりよっぽど道徳心があります。
電車に入れば、みんな席を立って老人に譲ろうとする。それが宗教心です。
しかしそれでもわれわれはこう言う。「救ってください。そしたら信じます」。それが信仰心がないというのです。
こんなことを言うと、ピエロが信仰心の強い、何かしらの宗教の信者だと思うかもしれませんが、私は神や仏を信仰したことは一度もありません。
【4:40】信仰とは
日本人は特に勘違いしがちなのですが、信仰とは特に神を崇拝することだけにとどまらないんです。
自分自身の信念を崇拝することも信仰であり、またある対象を絶対視し、それを信じ尊ぶことも信仰なんです。
普遍的テーマを題材にした古典『三国志』や『孫氏』などの策略家の思考回路、己の力で乗り越える術を記した『釈迦仏教』。
そしてそれらを実行し結果を手にする人々。
それらが発するその専門性は真なりだと、私は固く信じ、強く尊び、熱く信仰しています。
【5:12】挑戦 新しいことを始める恐怖
これをしなきゃと人生を変えようとしているけど、怖くてなかなか一歩が踏み出せないという方へ聞いてほしいです。
人生の一歩を踏み出すとはどういうことか。これは人間の歩行と同じです。
今、私たちは両方の足で立っています。これは安定している状態です。
そこから一歩を踏み出すという一番最初の動作は何か。それはバランスを崩すということ。
私たちは最初の一歩踏み出すとき、必ず片足立ちになります。
私たちが恐怖に思っているのは、実は一歩踏み出すことではなく、この一歩を踏み出す手前で、両の足で立った安定した状態を崩すことをもっとも恐れている。
人間の体には恒常性という機能があります。
およそ体温は35から37度に保たれており、そこから高くなり過ぎると平熱まで戻ろうとし、また低くなり過ぎても戻ろうとする。
人間にはそういう機能があるんです。だから自分の安定した状態から不安定な状態に進むことを恐れる。
でも人生を踏み出していく、歩いていくというのは、いったん作ったバランスを自分であえて崩し、その崩したバランスをまた再形成する、この連続でしか成し得ず、歩くとはそういうことです。
小学校、中学校、高校、大学、就職、常に自分で作った安定を自らで壊し、再形成してきた。
【6:33】歩くとは
誰かが用意してくれたレールの上で、今は情報がたくさんあり、何か物事を始めようと思えば、開拓された道を一直線に歩むことができます。
でも出口は舗装されていない。
荒野を歩く度胸があなたにはありますか。先が見えないのが当然。リスクをしょっているとか当然。
ストレスで眠れない夜を過ごして当然。孤独感にさいなまれ死を連想して当然。無力で怒りにさいなまれ、発狂して当然。
小さかれ大きかれ、その荒野を歩き切った人たちには共通点があります。
リミッターを狂わし、逃げ場をなくし、背水の陣で挑んでいる。
いったん作ったバランスを自分であえて崩し、その崩したバランスをまた再形成する。そうやって前に進んでいる。
この歩みをする人たちはすべからく全員強烈な信仰を持っています。
それが合っているとか、間違っているとかではなく、自分の中に信じてやまない、絶対的正義があるから、周りにどれだけ反対されようとも、人はその信仰を掲げることで荒野を歩けるようになり、その信仰が正しいと、結果をもって証明しようとするんです。